福沢諭吉は、どのように英語と出会ったのでしょうか。
以下に、彼の著書を引用します。
・・・ところで今世界に英語の普通に行われているということはかねて知っています。
なんでもあれは英語に違いない、今我国は条約を結んで開けかかっている、さすればこの後は英語が必要になるに違いない。
洋学者として英語を知らなければとても何にも通ずることが出来ない。
この後は英語を読むより外に仕方がないと、横浜から帰った翌日だ、一度は落胆したが同時にまた新たに志を発して、それから以来は一切万事英語と覚悟を極めて・・・。
・・・これが福沢諭古の有名な「英学発心」です。
およそ英学史に関する本は、日本における蘭学より英学への移行を物語る一つの文献として必ずといってよいほど『福翁自伝』の中からこの箇所を引用します。
さてここで福沢が困ったことは
「その英語を学ぶということについてどうしてよいか取付端がない。
江戸中にどこで英語を教えているという所のあろうわけもない」
・・・ということでした。
まだ石川遼 英会話のようなものがなかった時代です。
まずやっとみつけた最初の英語の先生は長崎の通詞(今の通訳)の森山多吉郎という人で、この時幕府の御用を勤めて江戸にいました。
ところがこの森山が忙しいので、けっきょく2、3か月でやめてしまいます。
またこの森山は福沢も「何も英語を大層知っている人ではない、漸く少し発音を心得ていると云う位」であったらしい。